SSブログ

蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)

 「蛇の道は蛇」とは、「その道の専門家」は、「その道」をよく知っているということの例え。
 似た意味のことわざに「餅は餅屋」というのがあるがニュアンスが違う。
  「その道」というのが悪徳商売、窃盗など反社会的な場合に多く使われる。

 「蛇(じゃ)」は、「ヤマタノオロチ」など古代神話の世界で活躍しただけではなく、「蛇神」(水神)として豊穣の信仰を受けた長い歴史がある。
 その中で、このことわざに関連する最初の文献は『古事記』『日本書紀』の三輪山の話であろう。

 『古事記』
  〈活玉依姫(いくたまよりひめ)の元に、夜毎通ってくる男があった。その素性を知りたくなり、男の衣服に針を通した糸を刺しておいた。糸は三輪のお社で止まっていた。 男の正体は、大神神社の祭神・大物主神だった。〉

 『日本書紀』
 〈倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)のもとに、毎晩通ってくる男があった。三輪山の大物主神である。
 大物主神は暗くならないと現れず、夜明け前にどこへともなく去っていった。
 そのため、倭迹迹日百襲姫命はその顔を見ることができず、不満だった。
 あるとき、倭迹迹日百襲姫命はたまりかねて大物主神に言った。
「たまにはもう少し遅くまでとどまっていてください。そうすれば私は、あなたのうるわしいお姿を見ることができます」
 「では明日の朝、私はあなたの櫛(くし)箱の中に入っていよう。ただし、真の私の姿を見ても、決して驚かないように」
 倭迹迹日百襲姫命は変に思ったものの、翌朝、まさかと思って櫛箱を開いてみた。
 するとそこには、かわいらしい小さなヘビが入っていた。
「私だ。大物主だ」とヘビは言った。
 倭迹迹日百襲姫命は悲鳴をあげた。
 大物主神は人の姿に戻ると、ブリブリ怒った。
「おまえは私に恥をかかせた。今度はおまえが恥をかく番だ」
 大物主神はそう捨てゼリフを残すと、大空のかなた、三輪山のほうへ飛んでいった。
 倭迹迹日百襲姫命は後悔した。力が抜けたようにしりもちをついた。
 その折、箸(はし)が局部に刺さり、死んでしまったという。〉

 この神婚神話の蛇は、その後も語り継がれ、例えば『平家物語』では、豊後緒方家の祖先の談として次のように描かれている。(概要)
 〈緒方家の先代に、或る美人あり夜な夜な壮男通ふ。誰人知らず一日母の教に従い男の狩衣の襟に針を刺し、賤の緒巻(しづのおだまき)をつけ翌日之を慕ひ行くに、日向豊後の国境祖母岳の岩屋に入る。女声をかくるも男出でず。無理に入り見れば大蛇なり。針は大蛇の咽に立つ。女が遂に男を生む。これ即ち緒方氏の祖先なり。〉

 中世において、この話は伊勢神宮にも引き継がれ、内宮に祀られていたアマテラスが外宮のトヨウケ姫に、夜な夜な通ったという物語に変節する。
 鎌倉時代初期に書かれた僧・通海の『大神宮参詣記』には、
 「斎宮の御衾の下に、毎朝蛇のウロコが落ちていた。内宮の天照大神は蛇神であり、外宮の斎宮に夜毎通ってきた印である。」 という。記紀神話の天照大神は、女神であったが、ここでは蛇体の男神とされた。
 伊勢神宮の伝承については、屈折したものがあり、一筋縄ではいかない。この伝承は、その中のささやかな一つに過ぎないが、アマテラスをめぐる根源的なものを含む。
 
 神婚神話は人類の初源を示すものとして、多くの民族が語り継いできたものであり、神聖の証である。
 太陽神との神婚神話もある中で、ここでは「蛇の姿」で原初の神が現れる。しかも、夜に紛れた「密かな行為」であった。
 「蛇(じゃ)の道」とは、「蛇(へび)」だけが知る「密かな道」で、このことわざはこれらの神婚神話に源があるのではないだろうか。

 大物主神も天照大神も、倭の大王とも崇められた神である。堂々と「妻問い」をすればいい、というのは庶民の感覚である。
 「密かな行為」と見られたことで、「蛇の道は蛇」には暗さが残った。
 
 
 
 
アマテラスと天皇: 〈政治シンボル〉の近代史 (歴史文化ライブラリー)

アマテラスと天皇: 〈政治シンボル〉の近代史 (歴史文化ライブラリー)

  • 作者: 千葉 慶
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/11/21
  • メディア: 単行本
 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

月とすっぽん(雲泥の差)我慢 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。