我慢
「我慢しろ」などと使われ、自分を押さえて耐えることとされる。
「辛抱」と似た言葉。
この表現の違いを次のように言った人がいる。
「我慢」とは、精神的肉体的に苦しくて訴えたい気持ちを発散させないで抑えること。 「辛抱」とは、環境の苦しさに押し流されないで、向上心を持ち続けること、
だから、「辛抱はしても 我慢はするな」。「我慢し過ぎると爆発する、だが辛抱すれば何時かは華が開く」などとして使い分けられることがある。
だが、「我慢」は、仏教の言葉からきたもので、本来の意味とは全く違うものになってしまった。
仏教が説く「慢」は、「思い上がる心」のことで「七慢」があるとされた。
1.慢 自分より劣っている人に対しては自分が勝っている、とうぬぼれ、同等の人 には、自分と等しいと心を高ぶらせる。
2.過慢 自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等 とする。
3.慢過慢 勝っている人を見て、自分はさらに勝っている、とうぬぼれる。
4.我慢 自負心が強く、自分本位。
5.増上慢 悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思いおごり高ぶる。 6.卑慢 非常に勝れている人を見て、自分は少し劣っている、と思う。
7.邪慢 間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると 思う。
いずれにしても、他と比べて自らを過剰に評価して自我に捉われ固執し、福徳や悟りを具えていないのにそれらを修得していると思い込む煩悩だとされる。
「我慢」は、悟りを妨げる「煩悩」であって、否定されるべきものであった。
だから「我慢をしてはいけない」のである。何時か暴発するから「いけない」のではなく、根本的に「悪しき煩悩」なのであった。
それが、「我慢、我慢、何事も我慢」(辛抱する)というように、まるで反対の意味になった。
仏教用語としての「我慢」は、むしろ現在の「我儘」に近い。
だが、「我儘はだめよ、我慢しなさい」などとして使わるのが現在である。
本来の意味は、「痩せ我慢する」という言葉の中にわずかに残されている。
辞書には「無理をする・虚勢を張る・意地を張る・意地で我慢する・(頑として)筋を曲げない・誇りを保つ・泣き言を言わない・弱みを見せない・(建て前の放棄を)潔しとしない・(つらくても)平気を装う・(平気な)振りをする・(形勢不利でも)へらず口をたたく・(妙なところで)肩肘を張る」こととされる。
この中の「虚勢を張る・意地を張る」は、仏教でいう七慢の四番目「我慢=自負心が強く、自分本位」に近い。
だが、日常的には「やせ我慢」も「無理して自分を押さえて耐えること」を意味しており、その姿が「虚勢を張る・意地を張る」状態と見るに過ぎない。
仏教に根源を持つ言葉で、このように逆転した意味で使われるものは少ない。
この現象が何時、どのようにして起きたのか。
少なくとも江戸期には、現在と同じように使われていたから、それ以前である。
中世初期、仏教と神道が激しく論争した時期がある。主に伊勢神宮の外宮が中心となって起こされた言説であるが、このへんに起源があるのかもしれない。
だが、これは単なる思いつきであって、それを調べる手順は全くない。
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2013-09-21 21:34
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