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「くちゃくちゃ」言う


 今は、「くちゃくちゃと音を立てて食うこと(くちゃ食い)」を指す言葉として使われることが多く「クチャクチャ」と音を立てて食べる癖を非難している。

 だが、「食う」と「言う」とでは違った意味になる。
 このことに気がついたのは、老境に入ってからのことである。

 「あれをしなくちゃ!これをしなくちゃ!」と言いながら、体が動かないことがある。 頭の中では、目的も手段も手順も分かっているのだが、物事は一向に片がつかない。
 口だけが先走る状況となってしまう。そして、するべき仕事が山のように残る。
 頭の中でなら他人に迷惑をかけないで済む。しかし、これを口に出されて聞かされる身になって欲しい。
 また、「くちゃくちゃと屁理屈を言う」としても使われる。
 どちらも、「また始まったのか」とうんざりすることに変わりはない。
 だから「くちゃくちゃ言うな!」といいたくなる。
 
 これと似た言葉で「めちゃくちゃ」というのがある。
 「芽茶苦茶」が語源という。「滅茶苦茶」と書くのは当て字である。
 「物事をめちゃくちゃにする」などとして使われ、分別が無いこと、その結果「ものごとを台無しにする」ことを意味する。
 
 「お茶三煎」といって、特に「芽茶」や「玉露」は一煎目・二煎目・三煎目で味や風味が違ったものになり、その過程を楽しむのが「茶を飲む」とされる。
  一煎目は、ぬるめの湯をかけて蒸らし、甘さを味わう。
 二煎目は、少し熱くした湯で、渋さを味わう。
 三煎目は、熱湯を注いで、ほろ苦さを味わう。
 「茶道」などと肩肘を張らなくても、これが日常の楽しみ方であった。
 芽茶にいきなり熱湯をかけると、この変化が味わえない。ただ苦々しい味になる。
 だが、そのためにはゆったりとした時間と空間が必要である。今は、特にその時間がない。何故かみんな忙しがっている。
 お茶はペットボトルで買うものという時代、「芽茶苦茶」な時代となった。

 このような雑学を披露するのは、「野暮」であり、[めちゃくちゃを言う」と同じように、はた迷惑なことである。
 「言わぬが花」なのだが、聞きかじった事をつい披露したくなる。
 古代中国の思想家・老子は、「知者不言、言者不知」(知る者は言わず、言う者は知らず)といった。
 だが、「知るために行う過程」があるはずなのだが、それにつては何もいわない。

 厄介な「知りたいという好奇心」(「それでどうしたの」という「覗き見趣味」かもしれない)だけが強く、雑学を追い求めるはめになってしまう。
 本人もそれを承知しながら、この楽しみから抜け出せないでいる。
 
 
 
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