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暦とカレンダー


 現在、わが国で「暦」といえば、「神宮暦(伊勢神宮発行)」か、「高島暦(東京都・神宮館発行)などを指す。太陰暦を基本とした吉凶付きの暦注が特徴である。
 太陽暦によるものは「カレンダー」と呼ばれ、太陰暦による「暦」と区別されるのが一般的で、カレンダーは外来語ではなく、立派な日本語に変身した。

「カレンダー」が「七曜」で構成されているのに対し、「暦」は「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の六曜で成り立っている。
 しかし、どちらも「暦」の一種であることには変わりはない。
 ただ、太陽暦(グレゴリオ暦)による日時の管理と「カレンダー」表記が、世界共通の基準であり、イギリスのグリニッチ天文台が世界標準時を管理している。

 「七曜」は、そもそも「七日目を休日とし、神に感謝する日」とした、キリスト教徒の習俗に由来するものであって、わが国の「六曜」の習俗と根源的な違いはない。
 
 六曜(ろくよう・りくよう)は、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六種をいう。
 日本では、暦の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダーや手帳にも記載されていることが多い。今日の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されている。
 六輝(ろっき)や宿曜(すくよう)ともいうが、これは太陽暦を採用する際に「七曜」との混同を避けるために、明治以後に作られた名称である。

 明治5年11月9日太政官布告337号(1872年)において「今般改暦之儀別紙詔書写の通り仰せ出され候條、此の旨相達し候事」と太陰暦を太陽暦に改めるにあたって、次のような「改暦詔書写」を掲げている。
 「朕惟うに我国通行の暦たる、太陰の朔望を以て月を立て太陽の躔度に合す。故に2, 3年間必ず閏月をおかざるを得ず、置閏の前後、時に季節の早晩あり、終に推歩の差を生ずるに至る。殊に中下段に掲る所の如きはおおむね亡誕無稽に属し、人智の開発を妨ぐるもの少しとせず」と論告した。
 同年11月24日、太政官布告を続いて発し「今般太陽暦御頒布に付、来明治6年限り略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候」とあり、これらの布告をもって、それまの「暦」に詳しく記載されていた「吉凶付きの暦注は迷信である」として禁止された。

 「暦(時間)」を管理することは、「国政」を管理する重要な指針であって、我が国においても「天文博士」を設置するなど、律令国家発生以来の課題であった。
 そして、「暦」を創ることは「専門的な権威」であり、それを頒布するのは「莫大な利権」でもあった。その「暦(時間)」に、「吉凶付きの暦注」が詳しく加筆され、日常生活の行動規範として利用された。その体制が千数百年も続き、幕末を迎えた。

 しかし、新しく創られた「六曜」は、迷信の類ではない、わが国の習俗を表すものとして欠かせない暦注だとして記載された。このことからかえって人気に拍車をかけることとなり、多種多様な暦注のなかでは新顔ながら、現代の日本に広まった。

 「六曜」には、仏滅や友引という、仏事と関わりそうな言葉が多く使われているが、仏教とは一切関係無い。仏事と関わり合いそうな言葉が多いのは、全くの当て字に因る。
 今では、この「六曜」を差別用語だとして「カレンダー」から排除すべきだという運動が起きている。
 そして、「カレンダー」にある「日曜日」も、「神に感謝する休日」ではなくなり、単なる記号に過ぎなくなりつつある。
 情報や企業行動などが、「時差」や「日付変更線」に関係なく、全地球的に休みなく継続される時代を反映しているのであろう。
 
 
暦の語る日本の歴史 (読みなおす日本史)

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