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お化け暦


 「お化け暦」とは、明治六年以降昭和二十年まで、民間で違法に発行された暦のことをいう。
 1873年(明治6年)の太陽暦採用以後、政府が発行する官暦である本暦では、一切の迷信的な暦注を掲載しなくなり、明治末年には旧暦の記載も中止された。
 
 旧暦は、農作物の播種や管理の目安とされ、農業指導書のような役割をもっていたのであるが、迷信的な歴注とともに切り捨てられた。
 しかし、一般庶民の間では、それまで慣れ親しんできた吉凶付きの暦注や旧暦に対する要求が高かった。
 そこで、吉凶判断などを記載した偽暦(ぎれき)が、官憲の追及を逃れて神出鬼没的に多数出版され、従来の暦にあった暦注のほか、六曜、三隣亡、九星などの、それまで暦に掲載されたことのない暦注が記載されるようになった。
 現在のカレンダーに残る「六曜」は、その名残であって、発生は江戸時代以前に遡るものではない。

 当時は暦の発行と頒布は、政府が厳重に管理しており、誰でも勝手に作れる物ではなかった。ところが政府が禁止した暦注を書き込む訳だから、そのような暦を政府が許可する訳がない。
 となれば残る手は一つ、官憲の目を逃れてこっそりと非合法の暦を出すしかない。
 「旧暦」に対する庶民の要求は強く大きな需要がある。造れば売れること間違いない。 「おばけ暦」は改暦以前に刊行された「略暦」という比較的簡便な暦の体裁を真似て作られたようである。発行者の欄には、「大阪市西区新町 福永嘉兵衛」と縁起のよさそうな名前があるが、もちろんこの発行元は架空のもので実在しない。
 しかし、版元は「暦」という名ではなく、『農家便覧』と名を変え農業指導書の体裁にしたり、『九星六曜吉凶表』『九星便』などいう陰陽道の解説書の形をとり出版した。
 これらは、年末の贈り物として重宝され、全国的な規模で頒布された。
 明治から大正、そして昭和初期に至るまで、中には真面目な「農業指導書」として発行されたものもあるとはいえ、「お化け暦」は格式ある寺社の財政を支えてきた。
 ちなみに、現在発行されている『高島歴』は、毎年120万部を越す隠れたベストセラーである。

 太平洋戦争が終わった1945年(昭和20年)以降、暦類は一般の出版物と同じように自由に編集出版が行えるようになり、「お化け暦」はなくなった


 小池淳一氏(国営津歴史民俗博物館助教授・民俗学)の著書『お化け暦の歴史』は、具体的に詳細な資料を踏まえた好著作である。
 その「あとがき」に次のように書いている。 
 「“お化け”は所詮、消えていくものであるにしても、近代民衆生活史に果たした役割は決して小さいものではない。
 特に、暦や暦注に起因する、あるいはそうした知識を前提として成立する俗信や習俗の生成を考える場合には大きな手がかりになるものといえるだろう。
 「暦の民俗」が生まれ、成長していく過程を考えるための重要な資料の一つということができるのではないだろうか。」

 「お化け暦」はなくなったが、そこから生まれた俗信と習俗は、今も残され消えることはない。
 
 


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