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諸国

 「諸国」が、「世界の国々」をさすようになったのは近代に入ってからのことである。 

 わが国では、律令国家成立以来幕末まで「諸国」といえば、「陸奥国・出羽国・武蔵国・相模国・ 山城国ーー」のように、地方を総称する言葉であった。

 特に江戸期には、諸国の大名が江戸在勤を命じられ、所領の藩へ戻ることを「国元へ帰る」といった。 米沢・上杉藩の名君、鷹山が書き残した『伝国の辞』には次のように「国」を表現している。 

 一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして 我私すべき物にはこれ無く候  

 一、人民は国家に属したる人民にして 我私すべき物にはこれ無く候   

 一、国家人民の為に立たる君にて 君の為に立たる国家人民にはこれ無く候  

 ここに書かれた「国」とは、「上杉藩」のことであり、日本国全体を意味するものではなかった。

 江戸時代、八代将軍・吉宗の頃作製された『諸国産物帳』という膨大な記録があった。各藩や寺社領に命じ、その国(領地)の産物をすべて書き上げたもので、動植物を初め鉱物などを含めた「産物全書」といってもよい。しかし、この記録は散逸してしまい一括して保存されることはなかった。 その存在と重要性に注目されたのは、大戦後の1950年以降である。

 『江戸諸国産物帳ー丹羽正伯の人と仕事ー』安田健著(晶文社、1987)によると、1737年から翌年にかけて、全国の記録が編纂責任者である丹羽正伯の元へ届けられたという。「本帳」「絵図帳」「注書」のセットで構成された「○○国物産帳」は、ゆうに千冊を超していたと推定されている。 散逸した記録の復元を目指したのが、丹羽健を中心とする農業史研究者たちで、その苦労話がこの著作である。 克明に描かれた「絵図」を含め、詳細に動植物を網羅した記録は、当時としては世界に類を見なかった物としてだけではなく、現在にも通用するものであるという。

 江戸期、特に元禄から享保の頃、町人の意識が地方に向けられ、「諸国物」が出版された。旅への憧れを伴っていたのであろう。 芭蕉の『奥の細道』にはこのような背景があり、さらにその旅をなぞる町民の旅日記が風靡した。

  「国」「国家」とは何かを書きたかったのであるが、方向が違ったようである。

 

 

 

 

 


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