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ゆべし


 「七夕のお供え物(索餅)」で、延喜式の「索餅」について触れた。
 そして、「米粉」にこだわった系譜に「菓子」があると指摘したのだが、その延長線上に「ゆべし」があるのではないだろうか。
 
 後で詳しく書くが「ゆべし」には、様々な形態と習俗があり、これが「ゆべし」だと言い切れないのだが、とりあえず概説すれば次のようなものといえる。

 現在復興している「索餅」は、「米粉を練って作られた菓子」という。
 米粉を練って茹でれば「団子」になる。油で上げれば「唐菓子」とされる。
 米粉に「くるみ・ごま・柚子などの加薬」を練りこみ、砂糖や味噌で甘辛く味をつけ、蒸したものが「ゆべし」の元型であろう。

 ところで、米を粉にする製法には多彩な手法があり、日本人が「米」にこだわってきた食の歴史が隠されている。
 「粳米(うるちまい・普段食べる米)」にするか、「糯米(もちごめ)」にするかによって、全く違ったものになる。さらに「糯米」をそのまま粉にするか、一度蒸して乾燥させ粉にするか、その粉の粒子をどの程度にするか、などによっても違う。
 「求肥」「道明寺」などと呼ばれる菓子類は、菓子職人の探究心から生まれた。
 京都:亀末廣の「索餅(求肥)」は、このようにして生まれたもので、いあわゆる「ゆべし」に含めてよいか迷うが、糯米の粉を練って蒸した部類に入る。。

 「ゆべし」は「柚餅子」とも書かれ、「柚子」を使ったものであった。
 先ほどの加薬を入れた素材を「柚子の実」に詰めて、蒸し乾燥させたのが「柚餅子」の起源とされる。
 しかし、主に東北地方で見られる「ゆべし」には柚子は使われていないものが多い。。 「柚餅子」と「ゆべし」は、土地と時によって様々な変化と伝承を持ち、和菓子屋のものだけではなく、家庭でも作られ、同じものとはいえない現象をおこしている。
 岩手県の中でも、多様な「ゆべし」があることに驚いて、その謎に迫ろうとする同好会が作られ、「ゆべし学会」が結成され、全国の「ゆべし」が試された。
 だが、いまだ「ゆべしとは何か」学会の結論は出ていない。
 
 「ゆべし」という言葉が文献に初めて出でてくるのは、室町時代・文明十六年(1484)の『お湯殿の上の日記』であるとされるが、名前のみで形状や味については不明である。 しかし、柚は平安時代には使われていたのであり、「丸柚餅子」の原型と見てもよいものが「薬」として作られていた可能性がある。

 「柚餅子」の製法が文献で見られるのは、江戸初期である。
 寛永二十年(1643)の『料理物語』には、味噌、生姜、胡椒、榧、胡麻、杏仁を使い柚子の実に入れた「丸柚餅子」が出てくる。
 また、慶安五年(1651)の『萬聞書秘伝』には「丸柚餅子」と「棒柚餅子」の二つが書かれており、この両者は古い時期から共存していた。
 「棒柚餅子」は、柚子の皮を刻み練りこんだもので、棒菓子として扱われ「丸柚餅子」とは違った道をたどるようになった。それが現在の「ゆべし」かもしれない。
 
 江戸も中期になって、庶民の食へのこだわりが強くなってくると、様々な料理本が出版された。天明二年(1782)に『豆腐百珍』が出版されると、その好評にあやからんとして数多くの料理本が続いた。その中に『柚珍秘密箱』というのがあり、『豆腐百珍』から三年後に出版された。

 『柚珍秘密箱』に「丸柚干(まるゆびし)の仕かた」「花柚干(はなゆびし)の仕かた」「高野(こうや)薬柚干(くすりゆびし)之仕方」が書かれている。
 
 「丸柚干」は柚釜に、胡麻味噌・うる米の粉・榧の実・麻の実など見繕いのものを練り合わせて詰め、蒸してから干す保存のきく製法である。

 「高野薬柚干」は、醤油で味を付け「丸柚干」同様蒸して干すのであるが、干す際に味噌豆を煮て柚を包み、杉の葉のつとに包んで干すという。このようにすることで、取肴として珍重されるだけではなく、薬としても重宝なものだとされている。

 「花柚干」は、柚の皮をすり、白砂糖・白味噌・うる米の粉・葛粉を水と少しの酒で練り合わせ、うどんを打つように薄くのばし、好みの形に切り、蒸して干したものという。すりあわせる際、そめ汁を入れ、様々な色のものを楽しむことができる。
 これは、「板柚餅子」といってもよい。加薬が殆ど無く、むしろ「切山椒」や「切生姜」に近いと思える。

 現在ではお目にかかれない「柚餅(ゆべし)連串(でんがく)」という料理があった。
 「うどん粉・うる米粉・餅米粉・砂糖・くろごま・焼き栗・生姜・こし味噌を練って柚釜に入れ、蒸して冷ましたものを、三つほどに切り、田楽串にさしてよく炙る。」というものである。
  
 この「丸柚餅子」の製法を伝統的に継承して、現在に伝えている老舗がある。
 輪島の中浦屋の「柚餅子」である。
 中浦屋の「丸柚餅子」は完熟し、中でも特に大粒で品質のよい厳選した柚子を丸ごと一個、贅沢に使う。柚子の中身を竹べらで丁寧にくりぬき、その外皮を容器(柚釜)として、中にもち米と秘伝の材料を調合したものを詰めてせいろで蒸す。その後、自然乾燥させて再び蒸す…これを二十~三十回、飴色になるまで繰り返すという、昔ながらの製法を守り続けてる。
 一つ一つ手間ひまをかけ、丹念につくられる丸ゆべしは、約四ヶ月という時間を要するため、一年に一度しか製造できない貴重な逸品。中浦屋の「丸柚餅子」は、美しい飴色、柚子の香り、上品な甘さとかすかなほろ苦さ、これらの絶妙さが時には芸術品と評されるほどである。「昔ながらの製法」というが、ここには菓子としての極みを目指す厳しい伝統が感じられる。

 「丸柚餅子」の中でも「高野薬柚干」のように取肴、あるいは携帯食品として珍重されたものがあり、現在では地域の特産品として復活している。
 長野や三河だけではなく、東京都青梅でも作られ、取肴としても絶品である。
 
 少々「索餅」にこだわり過ぎた。
 小麦ではなく、米に執着した歴史の一場面を探すことを課題としたかったのである。
 
 
 


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