托鉢(たくはつ)
托鉢は、修行僧が「乞食行(こつじきぎょう)」の際に使う鉢である。鉢の代わりに頭陀袋を使うことがある。
「乞食行(こつじきぎょう)」は、修行僧の生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に功徳を積ませる修行で、信者の家々をまわり、門前で経文を唱えて布施を受けた。
今も修行の一つとして残されている。
短い経文を唱え、布施を受けても「ありがとう」ということもなく、頭を下げることもない。布施は相手に功徳を積ませる善行であり、僧にとっては生きていることを感得する重要な修行である。
有徳の僧になると、托鉢が勝手に空を飛び「乞食(こつじき)」をおこなってくるようになるという。いわゆる「飛び鉢」伝説である。
中でも【信貴山縁起絵巻】の〈飛倉の巻〉が有名であり、平安時代末の12世紀後半に制作され,信貴山の朝護孫子寺に伝わっている。
実は、ここで書きたかったのは「乞食(こじき)」のとである。
いつの頃からなのか、僧侶でない者が路上などで物乞いをすることを「乞食(こじき)」と呼ぶようになった。僧が堕落したのか、民衆が堕落したのか両面がある。
寺院や仏像を作る費用を調達するため、各地をまわり、仏教による救済を進め、布施を受けた「勧進聖」がいた。
それが「五木の子守唄」でうたわれる「かんじん」のように「貧乏」を意味する言葉に変容した歴史がある。
同じように「乞食(こつじき)」は、修行僧が研鑽する「行」から離れ、単に「ものを乞う人」という意味になり、「こじき」と呼ばれるようになった。
しかも、現在では差別用語(放送問題用語)とされたため使用することはできなくなっている。「乞食(こじき)」は反社会的な行為であるだけではなく、ある特定の集団を非難する「用語」とされた。
誤解を避けるために、この文のタイトルを「托鉢」とした次第である。
「乞食(こじき)」の語源的由来は、仏教からきているとされ、その姿は前述したが、もう一つの流れがある。
「乞食」を「ホイト」と呼ぶ方言がある。意味することは同じで、東北地方で使われることが多いのだが、九州・下関や北海道でも使われているという。
その土地の人々は方言として意識しているが、ほぼ全国的に使われた言葉である。
明治期に策定された「標準語」に採録されなかっただけなのかもしれない。
「ホイト」は「ほかいびと」からきた言葉で、「ほかう=祝う」が語源である。
平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』には、「乞児(ほかいびと)」と書き、「家の戸口に立ち、祝いの言葉を唱えて物を乞い歩いた人」とあるから、この習俗の歴史は古い。
後に「門付芸人」と呼ばれる人々のことで、この系譜から民俗芸能が生まれ、形を変えながら現在に伝承されている。
正月の獅子舞、三河の万歳などを想定すれば、「ほかう=祝う」姿が見える。
しかし、問題なのは、「家の戸口に立つ=門付」をして「物を乞う」姿である。
まともな祝言もいえず、芸もなく、一方的に門付されたら「迷惑」である。
「乞食行(こつじきぎょう)」でも、経文も知らず貧相な姿で門前に立たれたら「結構です」と言いたくなる。
「ほかいびと」が「乞食(こつじき)」と混同され、「ホイト」と呼ばれ「こじき」を意味するようになった。
「言葉の歴史」として一言指摘したいことがある。
「方言」の中には、平安時代に京都で使われた言葉の残影が見られることが、ままあるということである。
山形県置賜地方では、「ありがとう」を「おしょうしな」という。今も日常的に使われている。「お笑止しな」と書くと誤解を受けるのだが、「笑止」を起源とする平安期の京言葉からきているという説がある。
「笑止」という言葉自体、様々な意味に変化し、現在では死語に近い。
しかし、このような例は他にもあるのだが、これは今回の課題ではない。
旅芸人のフォークロア―門付芸「春駒」に日本文化の体系を読みとる (人間選書)
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- 出版社/メーカー: 農山漁村文化協会
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2013-09-30 11:14
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