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おかず(或いは「おばんさい」)


 「今晩のオカズは何?」という。
 「料理」といわず、何故「オカズ」というのか。これは「女房ことば」に起源があり、「食事に出された料理の数々」のことの意である。
 御菜と書き、ご飯や酒の周りに「数々」取り揃えられたことから「オカズ」となった。 これが定説のようである。
 安土桃山時代に作られた『日葡辞書』には載っているから古い言葉である。
 「おかず」は、「おめぐり」「おまわり」「おあわせ」などともいわれ、ともに「女房ことば」の残存である。
 庶民は飯に副えるものとして「菜(さい)」と呼んだ。

 江戸期の国文学者・本居宣長は、『玉勝間』巻14に次のように書いている。
 「いはゆる菜をば、昔はあはせといへり、清少納言枕冊子などに見ゆ、又伊勢神宮の書に、まはりとあるは、伊勢の言歟、此国の今も山里人など、まはりといふ所あり。
 御湯殿上日記云、慶長三年五月四日、じゆこうの御かたより、御そへおかずとて、御まな參ると見えたるは、今も婦女のいふおかずなるべし、數々あるをいへる歟、又かずはかづにて和の義にや。」
 江戸時代の庶民は「オカズ」とはいわなかった。「女房」とは身分が違っていたからである。

 嘉永2年(1849)に出版された『年中番菜録』(『江戸時代料理本集成』第10巻・臨川書店所収)では、家庭で食べる副菜を、関東では「そう菜」、関西では「雑用(ぞうよう)」といったと書いている。
 どちらも「おそうざい」「おぞよ」として今も使われている。
 『年中番菜録』は、当時の大阪の名料理人が各地の民家で作られている料理を集めたもので、「家庭料理指南書」として好評だった。料亭の料理書ではない。
 その序文の附言では、出版の意図を次のように書いている。

 「番菜は日用のことなれば、いまだ世帯なれざる新婦はさらなり、年たけたる女房・まかないの女といへども、折ふしさしつまることあり。
 此書はただありふれたる献立をあげ、珍しき料理または値とふとく(高価で)、番菜になりがたき品は一切取らず、ふと思案に出かぬる時のたよりを旨とすれば、常々手まわりに置き、番菜の種本と心得たまふべし。」

 すでに「番菜」という言葉が使われていた。だが、「番菜」の「番」については触れていないので、なにを意味するのか諸説がある。
 「お晩菜」と夕食に当てるもの、「番茶・番傘」などに使われるように「粗末な」を指すというものがある。どちらも違っているのではないだろうか。
 『年中番菜録』は、四季折々の素材をそれぞれに分けて並べてあり、その旬を味わうことに気をくばっている。そして「年中」とは有職故事でいう「年中行事」をもじったものであり、「式次第、すなわち順番」を意味したと思える。

 「おぞよ」の起源については、不明なので取り敢えず省略する。

 「おそうざい」は、今では家庭料理というより「お惣菜屋」となり商業化され、さらに洋風料理を含め「デリカ」などとも呼ばれるようになった。
 一方で「雑用」は、「京都の家庭料理・おばんさい」として、全国的に有名になった。
 辞書を引くと
 「おばんざい(お番菜、お晩菜、お万菜)とは、昔より京都の一般家庭で作られてきた惣菜の意味で使われる言葉である。京都の伝統料理でも、家庭料理として作られるものを指す。」という。
 昔とは何時のことか。これが問題である。
 代々長く京都に住んでいた人の話なのだが、
 『辞書には「おばんざい」とは普段、家でいただく京都のおかずのこととある。西陣あたりで幼少期を過ごした大正生まれの祖母は、「おかずのことは〝おまわり〞というてたえ。これはもともとお公家さん言葉。主食ごはんの〝周り〞にぐるりと〝おかず〞を並べて食べたはったからやなぁ」
 年配の京都人に聞いてみると「おばんざい」ではなく、この「おまわり」、そして「おぞよ」を使う人のほうが多かった。「おぞよ」というのは〝御雑用〞と書き、当座しのぎになるおかずのこと。お豆さん、おからの炊いたん、それにすっかり京名物になったちりめん山椒などがそれ。おかずが仕込めない日々を見込んで、〝なんぞおぞよでも炊いとこか〞と使っていたと祖母は懐かしそうに目を細める。このおまわりとおぞよをまとめて「おばんざい」というらしい。』とある。

 実は、「おばんさい」なる言葉は、古いものではなく、戦後に流布した言葉である。
 1964年から翌年にかけて、朝日新聞/京都版コラムに「おばんざい」と表題されたエッセイが連載された。
 随筆家・大村しげさんら「京おんな3人組」が、京都の庶民家庭に伝承された「生活の智慧」を食を通じて伝えたかったらしく、その命名の背景に『年中番菜録』があったという。それが好評だったため単行本として出版され、マスコミに乗って全国に広まった、
 その経緯については、『大村しげと「おばんさい」』(藤井龍彦 国立民族学博物館調査報告書68・2007年)に詳細な報告がある。

 大村しげたちが伝えたかったのは「生活の智慧」であって、それを伝承する世代の糸が切れかかっていることへの警笛でもあった。
 だが、「おばんさい」は、料亭とはいわないものの「小料理屋」の看板として使われる時代になっている。「おばんさい」も商業化された。
 京都を旅し、「おばんさい屋」で食事をするのが今風なのである。
 これを「伝統を知らない恥」とする京都の老舗がある。そうではない。京都文化は伝統・伝説・伝承などを巧みに利用し活性化して続いてきたのである。


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