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指金(さしがね)


 「これは誰の指金だ」とういう。
 「命令・指示した責任者は誰か」という意味で使われる。
 しかし、「金」の由来については忘れられ、「指図」と「金」ではなく「図」と表記されることもある。

 「指金」の「金」は、かつて大工が寸法を測る際に「曲尺」を使用していたことに由来した。今でも使われる定規の一つで、木や竹などではなく「金属製」である。
 「曲尺」は直角を正確に測定することが重要で、狂いの少ない金属が使われた。
 そのため「曲尺」と書いて「かねじゃく」と読んだ。


 問題は、大工が設定する長さの単位である。
 《一尺》は現在では「曲尺」で用いられた長さを採用し、約30.303mmとされるが、一定ではなかった。「曲尺」の他に「鯨尺」「呉服尺」などがあり、「鯨尺」は約37.879 mmもあった。

 更に、《一間》という単位も時代によって大きく変化し、現在でも混乱が残っている。 もともと「間」は柱と柱の間のことで、長さを表す単位ではなかった。
 「四間三面の古代建築」という表現があるが、これは「柱が四本あり、三つの面」で造られていることだけを意味するのであって、柱と柱の間(すなわち面)の長さを表す単位ではない。
 それが大工用語で長さの単位として使われるようになってからでも、「6尺5寸」と「6尺3寸」などがあり、江戸時代に「6尺」となり、度量衡改正により1.818mとされた。
 それでも住宅建設では、京間(きょうま)1間=6尺5寸(曲尺)と江戸間(えどま)1間=6尺(曲尺)が併用された時代が続いた。
 住宅の設計図に「一間」と書いても、その基準が違っていたのでは家は作れない。
 「これは誰の指金か」と確認するのが重要なこととなる。
 指金をするのは「大工の棟梁」であり、最高責任者であった。
 「これはだれの指金だ」とは「棟梁は誰か」ということで、それを確認することでようやく長さの基準が明確になり、木材などの切り出しが始まるのである。

 『間尺(ましゃく)に合わない』という言葉がある。
 家具や建具寸法の割り出し方で、「うまい寸法割りができない」ということであった。 肝心の基準値が違っていたのでは組み立てることはできない、間違った方のものは工賃だけではなく材料費を含めて大損になった。
 今は「割に合わない。損になる。」などの意味で使われることもある。
 これも「指金」の取り違いからでた言葉である。

 新しく出来た歌舞伎座の楽屋が、みなメートル法で作られていて、役者衆の楽屋のれんが寸足らずになって落ち着かないという話を聞いた。
 メートル法は現代建築の基本であるから良いとしても、前の歌舞伎座は江戸間の基準から作られ、のれんはそれに合うように採寸された。
 その時代ののれんには、著名な画家のものもある。作り直すこともできず、なんとなく落ち着かない気分だという。
 たかが寸法のことといっても、そこには文化の奥深さがある。

 話は変わるが、大工の世界よりひどいものがある。「検地」のことである。
 土地測量における「一間」の変更は、為政者の税対策の権威として取り入れられた。
 室町の末期には、1間は6尺5寸が一般的であったらしい。
 「太閤検地」では、1間は6尺3寸とされ、1歩は6尺3寸四方、1段は300歩と定められた。 10段で1町歩であるから、1町が約22%も縮んだことになる。
 収穫高(石高)に対する年貢収納率が同じであれば、年貢が高くなる実質増税が行われた訳である。現代風に言えば、同じ1ヘクタールの面積の固定資産税が、22%増額になったようなものである。 
 なお、桝も太閤検地の「京桝」から、1升に対して1%程度小さい「江戸桝」が採用されている。
 江戸時代になってからも検地が行われ、一間は6尺1寸になった。再度、実質的な増税措置がとられた。
 その上、各藩によりバラバラで、6尺3寸から5尺8寸まであったという。

 度量衡の原単位を決めてきたのは、時の為政者の権威であった。それを基準として習俗や文化などが形成されてきた。現在では「世界基準」が設定されているが、生活のどこかにまだ「地方基準」の残滓がある。

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