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暦とカレンダー


 現在、わが国で「暦」といえば、「神宮暦(伊勢神宮発行)」か、「高島暦(東京都・神宮館発行)などを指す。太陰暦を基本とした吉凶付きの暦注が特徴である。
 太陽暦によるものは「カレンダー」と呼ばれ、太陰暦による「暦」と区別されるのが一般的で、カレンダーは外来語ではなく、立派な日本語に変身した。

「カレンダー」が「七曜」で構成されているのに対し、「暦」は「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の六曜で成り立っている。
 しかし、どちらも「暦」の一種であることには変わりはない。
 ただ、太陽暦(グレゴリオ暦)による日時の管理と「カレンダー」表記が、世界共通の基準であり、イギリスのグリニッチ天文台が世界標準時を管理している。

 「七曜」は、そもそも「七日目を休日とし、神に感謝する日」とした、キリスト教徒の習俗に由来するものであって、わが国の「六曜」の習俗と根源的な違いはない。
 
 六曜(ろくよう・りくよう)は、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六種をいう。
 日本では、暦の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダーや手帳にも記載されていることが多い。今日の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されている。
 六輝(ろっき)や宿曜(すくよう)ともいうが、これは太陽暦を採用する際に「七曜」との混同を避けるために、明治以後に作られた名称である。

 明治5年11月9日太政官布告337号(1872年)において「今般改暦之儀別紙詔書写の通り仰せ出され候條、此の旨相達し候事」と太陰暦を太陽暦に改めるにあたって、次のような「改暦詔書写」を掲げている。
 「朕惟うに我国通行の暦たる、太陰の朔望を以て月を立て太陽の躔度に合す。故に2, 3年間必ず閏月をおかざるを得ず、置閏の前後、時に季節の早晩あり、終に推歩の差を生ずるに至る。殊に中下段に掲る所の如きはおおむね亡誕無稽に属し、人智の開発を妨ぐるもの少しとせず」と論告した。
 同年11月24日、太政官布告を続いて発し「今般太陽暦御頒布に付、来明治6年限り略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候」とあり、これらの布告をもって、それまの「暦」に詳しく記載されていた「吉凶付きの暦注は迷信である」として禁止された。

 「暦(時間)」を管理することは、「国政」を管理する重要な指針であって、我が国においても「天文博士」を設置するなど、律令国家発生以来の課題であった。
 そして、「暦」を創ることは「専門的な権威」であり、それを頒布するのは「莫大な利権」でもあった。その「暦(時間)」に、「吉凶付きの暦注」が詳しく加筆され、日常生活の行動規範として利用された。その体制が千数百年も続き、幕末を迎えた。

 しかし、新しく創られた「六曜」は、迷信の類ではない、わが国の習俗を表すものとして欠かせない暦注だとして記載された。このことからかえって人気に拍車をかけることとなり、多種多様な暦注のなかでは新顔ながら、現代の日本に広まった。

 「六曜」には、仏滅や友引という、仏事と関わりそうな言葉が多く使われているが、仏教とは一切関係無い。仏事と関わり合いそうな言葉が多いのは、全くの当て字に因る。
 今では、この「六曜」を差別用語だとして「カレンダー」から排除すべきだという運動が起きている。
 そして、「カレンダー」にある「日曜日」も、「神に感謝する休日」ではなくなり、単なる記号に過ぎなくなりつつある。
 情報や企業行動などが、「時差」や「日付変更線」に関係なく、全地球的に休みなく継続される時代を反映しているのであろう。
 
 
暦の語る日本の歴史 (読みなおす日本史)

暦の語る日本の歴史 (読みなおす日本史)

  • 作者: 内田 正男
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
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留守

 
 「外出して家にいないこと」として使われる。
 「三日ほど留守にします」などと、家には誰もいない状態となることがある。
 また、「主人は留守にしております」と家の玄関で奥様が答えることもある。

 「留守」すなわち「家には不在」という意味で使われるようになったのは近年のことである。
 「留守」とは、字のごとく「留まって守る」ことであった。
 「その家・領地などの主人が、不在の間、その管理を任され守る」のが「留守」の役目であった。不在である主人が対象ではなく、不在を任された人が対象で、それを「留守」といったのである。
 だから「留守」は主人に代わって常駐し、「不在にしてはならない」のである。
 それが、いつの間にか逆転し、「主人が不在」のことを指すようになった。

 天智天皇が近江大津宮に移ったとき飛鳥の京に留守官(留守司)が設置された。
 また、『続日本紀』に「朝臣藤原仲麻呂 為平城留守」という記事がある。
 遷都のたびに「留守」が任命され、天皇の代理を務めたのである。

 鎌倉時代初期には、鎌倉幕府の名代として「留守」が置かれた。
 源頼朝は奥州征伐後、伊沢左近将監家景を「陸奥国留守職」に任命し、多賀国府に赴任させた。伊沢氏はその後「留守氏」と名乗り、紆余屈折したものの幕末まで続いた。

 明治2年3月28日(新暦1869年5月9日)天皇は京都から行幸し東京城に入った。
 この時東京城は「皇城」と改称されて太政官も東京に移転され、京都には「留守官」が設置された。新都・東京の実質的な始まりである。
 しかし、「留守官」は京都御所を残して諸官庁の留守・出張所が次々に廃されたことで中央行政機関としては実体を失い、翌年5月には京都府から宮中へと移管された。

 「留守」とは、このように重々しい制度的背景を持っていたのであるが、今ではたんなる「不在」と同じように使われている。
 しかし、「(その人が)居るべきところにいない」という点では、少しは語源として低通しているといえる。

 「留守録」という機能が電話やテレビに付随している。
 「留守番」は人ではなく、機械が受け持つ時代となった。
 そして、携帯電話の世界では「不在」を理由に、嫌な相手から逃げることも出来ない時代になってきた。「不在」ではなく「通信拒否」という機能がそれを代行する。

 さらに、機器管理の自動化と通信技術の発展が、「居るべき人が不在」であっても、外部から「留守番役」を自動的に管理できるようになりつつある。
 携帯電話から「何時に風呂を沸かしておけ」と指示できる時代である。
 「留守」の意味は、さらに変化するのかもしれない。
 
 
明治留守政府

明治留守政府

  • 作者: 笠原 英彦
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2010/01
  • メディア: 単行本
 
 
 

縁起をかつぐ


  「縁起」は、良いこと・悪いことが起きる前兆を示す意味で使われることが多い。
 「縁起が良ければ」それで良し。周りの人々に「縁起物」を配ることもある。 
 「縁起が悪ければ」お祓いをして、「縁起直し」をする。
 だが、何故「かつぐ」のであろうか。
 その原景は、吉凶を占う際やお祓いの時に、占いを行う巫などが「御幣」を担いだことに起因すると思える。
 
  そもそも「縁起」には、吉凶を占い、予言する意味はなかった。
 仏教の根幹をなす思想の一つ「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
 世界の一切は「因」と「縁」が、直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指している。

 「因縁生起」が、「因縁」と「縁起」に分解されて、仏教本来の意味とは遠くかけ離れて使われてきた。
 「因縁」の場合は、「因縁をつける」などの言葉として残され、無残な姿になった。
 「縁起」は、まだ運が良かった。
 古代から中世にかけて、数多くの「寺社縁起」が作成された。
 社寺の創建や、その祭神・本尊の造像に関する由来・霊験譚などの伝承説話を題材として描いたもので、ここでは「故事来歴」の意味で用いられている。
 文章としてだけではなく、華麗な絵巻物として残され、『石山寺縁起絵巻』『信貴山縁起絵巻』『清水寺縁起絵巻』などの重要文化財がある。
 
 しかし、「寺社縁起」は、歴史資料として書かれたものではない。その寺社の霊験がいかにあらたかなのかを宣伝するのが主眼であった。
 無病息災を祈り、豊かな現世を過ごすために、人々は寺社参りをしたのであって、特に神仏の降誕・示現・誓願などの縁(ゆかり)のある日を選んで「縁日」とし、この日に参詣すると、普段以上の御利益があると信じられた。
 神仏に「結縁(けちえん)」し、その加護を祈願したのである。

 災難から身を守ること、それはいつの世であれ庶民の願いである。
 自分で意識できない「因縁」により、災難が起きるのであれば、それを事前に感知し、避けることができれば幸いである。
 占いや陰陽道などが活躍するのはこの場面である。そして、それは様々な形を通じて習俗化してきた。
 現在も行われている「元日参り」「神社のお祓い」「厄年祈願」「おみくじ」などはその名残であり、さらに西洋式吉凶占いが蔓延している。

 「縁起をかつぐ」ことは、庶民のか弱い望みであり、楽しみでもある。
 それが習俗となり、長く維持されてきた背景である。
 その度が過ぎなければ、神仏任せの「他力本願」などと肩肘を張って云々するほどのものではない。
 

紅葉狩り


 「紅葉」と書いて「コウヨウ」とも「モミジ」とも読む。
 だが、これは漢字の「音読み」「訓読み」による違いではなく、文化習俗によるものである。
 「モミジ」は、植物分類では「楓(かえで)」の仲間であり、園芸趣味が旺盛だった江戸期には、「春モミジ」などの品種が珍重された。「モミジ」すなわち「秋の紅葉」ではなかった。最近になってこのような品種が復活しており、現在では、原種、園芸品種を合わせて四百種類以上になるという。
 品種としての「モミジ」が、特にその「紅葉」に優れていたため、「紅葉」の代表格とされたのであろう。それが混乱の背景にある。
 さらに、メープル(楓の英語名)などが海外から移植され、特に「黄葉(こうよう)」を中心に普及が進められている。

 
 春の「桜前線」に対して、秋には「紅葉前線」が報道される。この場合は「コウヨウ」と読むのが一般的で「モミジ」と読むには少数派のようである。
 「紅葉前線」には、「楓(かえで)」だけではなく、ブナや漆などの落葉樹が含まれ、単に「紅葉」するものだけではなく「黄葉(こうよう)」する樹木が判断の対称とされている。
 風景一帯が、「紅」や「黄」のグラデーションに包まれ、やがて茶色の「枯葉」になって落葉する、その最後の輝きには「桜」とは全く別種の感動がある。
 

 だが、芸能や和歌の世界での「紅葉」は、「コウヨウ」とは読まず「モミジ」である。 
 「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき」
   古今集 猿丸太夫(さるまるだゆう) 百人一首(05)

 平維茂の鬼退治を描いた、能の演目『紅葉狩』がある。

 どちらも「モミジ」と読まなければ不正解である。

 能「紅葉狩」のあらすじ。
 秋の戸隠山が舞台。美女達が幕を張って紅葉狩に興じていところに、鹿狩に来た平維持(たいらのこれもち)一行が通り合わせた。
 馬から下りて行き過ぎようとすると、女主人から酒宴に誘われる。酌を受ける内、維持は睡魔に襲われ、美女は夢を覚ますなと怪しい言葉を残して消え失せる。
 維持の夢の中で石清水八幡の神託があり、今の女達がこの山の鬼女であることを知り、剣を抜いて待ち受けると、やがて現れたのは、身の丈一丈あまりの鬼神。
 維持は剣を振るって戦い、ついに退治してしまう。

 一山が錦のように彩られた時期は、鹿や猪などの狩りの季節でもあった。
 江戸期の美人画に、紅葉した枝を担いでいる町娘が好んで描かれている。街の中で深山を偲ぶのが風流とされたのであろうか。

 京都の仏閣の庭で、様々な「モミジ」を観賞するのとは違った趣が「紅葉狩り」にはある。


絵文字


 「絵文字」を使うことは、最近ではメールの常識のようになっている。
 様々な「絵文字」が作られ、それだけで手短に意を伝えることも可能となった。
 ただ、これを「文章」と見るか、それは問題である。
 
 「絵文字」によって「正しい日本語」が使われなくなり、表現能力が低下するのではないかと指摘する人々がいる。
 「文字」そのものは「記号」に過ぎない。「絵」であろうと「漢字・仮名・アルファベット」であろうと同じだと見ることもできる。
 そもそも、「漢字」は「形象文字」といわれる「絵文字」「表意文字」を起源とするのだから、「絵文字」が氾濫しているからといって、文字文化の破壊だというのは短絡であろう。
 むしろ、手紙や文章を「手で書かなくなった」現象をどう見るか。メールやワープロに頼る入力は、難しい漢字を簡単に変換してくれるとはいえ、「当て字」的な使われ方も起こっている。こちらの方が表現力の低下だけではなく、混乱の原因となっている可能性が高い。

 「日本語」は、特に「感情表現」や「評価表現」などでは難しい問題を含むことが多くあり、言葉の「ゆれ」が起きている。
 例えば「かなしい」という言葉である。漢字では「悲しい」「哀しい」と書かれ、「絵文字」では、「(/ω\)」「゚(゚´Д`゚)゚」などと表現される。
 話言葉では、微妙なアクセントによって真意が伝えられるのだが、書き言葉(文字)ではうまく伝わらないことがある。その前後の文章から推察する以外にない。そのため文章自体が長くなってしまう傾向がある。
 
 その長さを嫌い、仲間内にしか通じない「記号」に過ぎなくとも、手短な「絵文字」で真意を伝えたいのだろうか。「顔の表情」を示す「絵文字」などには、そのせつなさがうかがえるように多様な「絵」がある。
 
 生活習俗の変化と「言葉の意味」に微妙な「ずれ」が起きていて、それがこの背景にあるのかもしれない。「本来は」などと言ったところで、それを伝承する習俗がなくなってしまったら「正しく」伝わるはずがない。
 
 
ノート・手帳・メモが変わる「絵文字」の技術

ノート・手帳・メモが変わる「絵文字」の技術

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仮名を振る


 漢字には「音読み」と「訓読み」があり、同じ文字が多様に発音される。
 また、「同じ発音」でも、多様に表記される。
 例えば「日」である。音読みでは「ひ」、訓読みでは「にち」なのだが、他の文字と組み合わされると、読み方が変わる。「三日(みっか)」「三日月(みかずき)」「日本(にほん・にっぽん)「今日(きょう)」「当日(とうじつ)」などがある。
 「ひ」と発音した場合、「日」「火」「碑」「費」「非」「比」「秘」「灯」など数多くの文字が出てくる。
 「檜」と書かれた場合、「ひ」と読むのか「ひのき」と読むのか迷う場合がある。
 木材を指す時には「ひのき」だが、氏名の「檜山」は「ひやま」と「ひ」で読む。
 
 この混乱を避けるために「仮名を振る」ことがある。
 その発生は、江戸期になって出版が盛んになると、読者層の広がりから、漢字の識字率が低い層でも読みやすくするための補助とされたことにある。
 明治時代に入って以降、第二次世界大戦まで、全ての漢字に振り仮名が振ってあった出版物があった。「新聞」などもその一つであった。
 また、明治政府は「標準語」の策定に必死であったから、「振り仮名」によって統一しようとする政策が背景にあったのではないか。
 中には「漢語」で記しておいて、振り仮名はその意味の「和語」によってするというものもあった。
  特に、漫画や小説、歌の歌詞などでは、特殊な効果を狙って、漢字や外来語で記したものを全く別の振り仮名で読ませることもある。この流れは今も続く。
 例えば「小樽の女」の「女」を「ひと」と読ませる歌がある。
 
 今は、「仮名を振る」というより「ルビを付ける」という言葉の方が多く使われる。
 かたかなで「ルビ」と書くが、れっきとした日本語であり、「仮名を振る」という意味では「外来語」ではない。
 活版印刷が普及したのは、一文字ずつ鉛で作られた「活字」があったからである。「植字工」が一本一本活字を拾い上げて文章を組み立てた。その際に基本となった活字の大きさは「五号格」であった。それに振り仮名を付ける時に、少し小さい「七号格」の活字を用いた。そのサイズがイギリスで使われている別名「ルビー(Ruby)」と呼ばれる活字とほぼ同じであったため、印刷物の振り仮名を「ルビ」ともいうようになった。

 文字を読むために、様々な努力をしてきた歴史がある。
 「ひらがな」を読むために「絵」を使った。「絵」が「平仮名」の「ルビ」とされたのである。
 
 「絵心経」といわれる仏教の経典「摩訶般若波羅蜜多心経」は、仮名も読めない人のために、「読み方」を「絵」で現した。
 「般若心経」は「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。--」で始まる仏教の基本的な経典であるが、今でも玄奘三蔵訳とされる「漢訳」で読まれ、「和訳」で読経されることはない。
 その最後の部分に出てくる「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)、波羅羯諦(はらぎゃてい)、波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)、菩提薩婆訶(ぼじそわか)」は、漢語に訳されたものではなく、サンスクリット語の発音を漢字に置き換えたに過ぎない。
 いわゆる「表音文字」である。

 この経典を、文字が読めない人にも読んでもらおうと、苦心して作られたのが「絵心経」である。「めくら経」と言われて伝わるものだが、「めくら」という言葉が「差別用語」とされるため、今は「絵心経」と呼ばれている。
 「ひらがな」が記され、その「ひらがな」を読むために「絵」が付けられた。
 「絵」は、「ひらがな」を読むための「振り仮名・ルビ」の役目を果たしたのである。 
   
      
         絵心経03-r.jpg
 
 例えば、経典名「摩訶般若波羅蜜多心経」は、「まか」として「ご飯を炊く釜」が逆さに描かれ、「はんにゃ」は「般若の面」、「はら」は「人間の腹」が描かれている。
 これは「当て絵」であり、「絵文字」(表意文字)の分野ではない。
 主に、江戸期の「南部地方」に伝わったものという。
 
 このように、「日本語」の奥深さとしなやかさを眺めると、ついのめり込んでしまう。


「くちゃくちゃ」言う


 今は、「くちゃくちゃと音を立てて食うこと(くちゃ食い)」を指す言葉として使われることが多く「クチャクチャ」と音を立てて食べる癖を非難している。

 だが、「食う」と「言う」とでは違った意味になる。
 このことに気がついたのは、老境に入ってからのことである。

 「あれをしなくちゃ!これをしなくちゃ!」と言いながら、体が動かないことがある。 頭の中では、目的も手段も手順も分かっているのだが、物事は一向に片がつかない。
 口だけが先走る状況となってしまう。そして、するべき仕事が山のように残る。
 頭の中でなら他人に迷惑をかけないで済む。しかし、これを口に出されて聞かされる身になって欲しい。
 また、「くちゃくちゃと屁理屈を言う」としても使われる。
 どちらも、「また始まったのか」とうんざりすることに変わりはない。
 だから「くちゃくちゃ言うな!」といいたくなる。
 
 これと似た言葉で「めちゃくちゃ」というのがある。
 「芽茶苦茶」が語源という。「滅茶苦茶」と書くのは当て字である。
 「物事をめちゃくちゃにする」などとして使われ、分別が無いこと、その結果「ものごとを台無しにする」ことを意味する。
 
 「お茶三煎」といって、特に「芽茶」や「玉露」は一煎目・二煎目・三煎目で味や風味が違ったものになり、その過程を楽しむのが「茶を飲む」とされる。
  一煎目は、ぬるめの湯をかけて蒸らし、甘さを味わう。
 二煎目は、少し熱くした湯で、渋さを味わう。
 三煎目は、熱湯を注いで、ほろ苦さを味わう。
 「茶道」などと肩肘を張らなくても、これが日常の楽しみ方であった。
 芽茶にいきなり熱湯をかけると、この変化が味わえない。ただ苦々しい味になる。
 だが、そのためにはゆったりとした時間と空間が必要である。今は、特にその時間がない。何故かみんな忙しがっている。
 お茶はペットボトルで買うものという時代、「芽茶苦茶」な時代となった。

 このような雑学を披露するのは、「野暮」であり、[めちゃくちゃを言う」と同じように、はた迷惑なことである。
 「言わぬが花」なのだが、聞きかじった事をつい披露したくなる。
 古代中国の思想家・老子は、「知者不言、言者不知」(知る者は言わず、言う者は知らず)といった。
 だが、「知るために行う過程」があるはずなのだが、それにつては何もいわない。

 厄介な「知りたいという好奇心」(「それでどうしたの」という「覗き見趣味」かもしれない)だけが強く、雑学を追い求めるはめになってしまう。
 本人もそれを承知しながら、この楽しみから抜け出せないでいる。
 
 
 
時間を忘れるほど面白い雑学の本 (知的生きかた文庫)

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左右(さゆう)


 「右」と「左」は、考えると不思議な文字である。
 先ず、筆順が違う。「左」の一画目は左から右に書く横線、「右」は上から左下にはらう。小学生の時に習うのだが、すっかり忘れてしまう。

 古代中国の文字・篆書の「右」という字は、右手の形と「サイ」という祝詞を入れる器の「会意字」で、右手の指にあたる部分が楷書の左払いになり、腕が横線になる。
 だから左払いを先に書き、横線を後に書く。また、指は短く腕を長く書く。それを受けて「右」は、左払いが短く、横線が長い。
 一方、「左」は、左手と「工」という呪具との「会意字」で、左手の指にあたる部分が横線になり、腕が左払いになる。
 だから横線を先に書き、左払いを後に書く。また、指にあたる横線を短く、腕にあたるひだり払いを長く書く。
 太古の中国では、祭礼における左右の手の役割が違っていて、その意味を文字で伝えようとしたのであろう。
 
 しかし 現在では、左払いも横線も同じような長さに書く。造語された意味は失われ、なぜか筆順だけが教育の場に残された。

 「左」と「右」を説明する際に、「北」とか「南」などのような絶対基準はない。
 「(ものに向かって)左」であり、同様に「(ものに向かって)右」なのであり、()内の意が省略されている。
 「向かうのは誰か」によって、左右がはじめて確定する。
 
 平城京・平安京(現在の京都市も)に「左京」「右京」という街区がある。これは天皇が「南面」して座した時に、「天皇が向かう方向」によって、大路の左右が決められた。 「東」が「左」を指すのではない。
 しかし、京都の「五山送り火」においては、左京区浄土寺・大文字山の「大文字」に対して、北区大北山・左大文字山の火は「左大文字」という。御所から見れば「左」ではなく、むしろ「右後ろ」になる。
 左京区の大文字は「東大文字」とも呼ばれるが「左」ではない。
 これは、大文字焼きを見るのが「京都の町衆」であったからであり、「向かう主体」によって「左右」が決められた。

 さらに、「左右」には「序列」の歴史がある。
 「左大臣」と「右大臣」、「右に出るものはない」、「右ならえ」などの言葉に残されている。
 
 古代中国では、時代によって変化するが、唐を規範としたわが国では、「(向かって)左」が上位とされた。
 問題は、(誰が向かうか)である。
 序列としての左右は、全て「天皇」が向かった方角から決められた。
 天皇から見て「左」は最高の序列にあたり、それを受けて最も「右」にいて「天皇に向かう」のが人民の最高位を示す正しい序列とされた。
 日本神話には、イザナギ・イザナミが「まぐわい」する時に、最初に柱を「右回り」したため失敗し、改めて「左回り」をしてまともになったことが出てくる。「左」の優位性を神話でも示した。
 明治天皇の時代までは「左が高位」とする伝統があった。それを補強したのが「「陰陽説」で、左(向かって右)を【陽=男】とし、右(向かって左)を【陰=女】とした。
 そのため明治天皇の即位式では、天皇である帝は左に立った。

 「右に出るものはない」「右ならえ」の「右」は、天皇によって認められた人民の最高人物が位置する場所を意味したことから発生し、語り継がれてきた言葉である。
 
 ひな祭りの「男雛・女雛」をどちら側に置くか。
 社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来、男雛を「向かって左」に置くのを「現代式」、「向かって右」に置くのを「古式」とするという見解を出している。
 一般に関東では「現代式」、関西では「古式」が多いとされるが、混乱は収まったわけではない。
 「現代式」は、大正天皇が即位の礼で、洋装の天皇陛下が西洋のスタイルで皇后陛下の右に立たれた事、それを昭和天皇が引き継いだ事で確定的になったといわれる。
 西欧化の流れに即した変更であり、レディ・ファーストの習俗の導入と見ることができる。伝統的な「左右の序列」は逆転されたのである。

 ひな祭りは、女の祭りである。
 「女雛」が伝統的な「向かって右」(最高権威の座)に置いても、一時的な遊びとして許されそうなのだが、意味はそのようにはならなかった。
 祭壇に「向かって左」に「男雛」を置く「現代式」は、現在の天皇をなぞらえたものである。しかも天皇は男性とする暗黙の前提がある。
 もし、「女帝」ならどうするのだろう。
 さらに、男女平等の世論はこの現象をどう解釈するのだろうか。
 「左右の序列」などないとするか、それより「女雛」を「向かって右」に置いて、女性上位を反映させていると解釈したほうが、現代の時勢にあっているのかもしれない。
 
 「左様(さよう)」と書き「そのとおり」を意味する言葉がある。だが「右様」という言葉はない。
 「左右」は、不思議な言葉である。
 
 
五節供の楽しみ―七草・雛祭・端午・七夕・重陽

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敷居が高い

 
 「敷居が高い」の意味をどのように解釈するか、文化庁の平成20年度「国語に関する世論調査」の結果が発表された。
 (1)「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」で使う人が42.1%
 (2)「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」で使う人が45.6%
 これを年齢層別で見ると、(1)と答えたのは40才台以上に多く、それ以下の年齢層との間に格段の差がある。
 「行きにくい」「入りにくい」という行為は同じでも、その理由が全く違って解釈されている。文化庁は(1)が本来の意味で、正解とする。

 しかし、(1)と答えた人でも「敷居とは何か」知らない人が含まれている可能性がある。「敷居」は「鴨居(かもい)」と対になる建築用語である。

 「敷居」は、家の門や玄関,部屋の出入口などの引き戸や障子,ふすまなどを開け閉め       するために床に設置される溝のついた横木のこと。
 「鴨居」は、和室の襖や障子などの建具を立て込むために引き戸状開口部の上枠として       取り付けられる横木。下部に取り付ける敷居と対になっている。
 和風建築における、間仕切りの手法で、「長押(なげし)」や「欄間(らんま)が併用されてきた。

 「長押」は、柱を水平方向につなぐもの。鴨居の上から被せたり、柱間を渡せたりするように壁に沿って取り付けられる。
 和風空間の格式を決定する、最も要の部材とされた。

 「欄間」は、部屋と部屋の境目等で天井と鴨居との間に、採光、換気、装飾等を目的として、障子、格子、透かし彫り等の彫刻を施した板を嵌め込んだもの。
 江戸時代以降には一般住宅にも採り入れられ、現在でも富山県や大阪府などでつくられている。

 これらの様式は、住宅建築の中で発展していったのであるが、「敷居」については寺院建設の中に淵源がある。
 いわゆる古刹と呼ばれる寺を訪ね、本堂へ入るときに経験できる。
 とにかく「敷居が高い」のである。足を高く上げ、ようやく越すことができるほどの高さであることが多い。
 本堂は、当然だがその寺の本尊が安置されている。その場所は最も崇高な場所であるから、入るには身も心もそれに備えなければならない。
 心にやましいものがあれば、「入りにくい」。
 この意味は、(1)のように現在にも定通している。
 
 しかし、住宅様式が洋風化され、玄関に置かれる「敷居」は殆ど影を消した。「引き戸」ではなく、「ドア」になり「敷居」は使われなくなった。
 さらに、部屋の中では、あっても「低い敷居」であり、最近では「バリァフリー」のために撤去されることがある。
 「敷居」は「高くなくなった」状況で、「本来は--」などといってみたところで、理解されるか疑問であろう。

 (2)の回答は、物理的な理解はともかく、心理的な意味は継承していると見られる。
 ふすまで仕切られた大広間と来客中心の住宅様式から、家族と個室を大事にした住宅様式への変化は、時代の流れである。
 
 
和風住宅 2013年版

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新建新聞社
  • 発売日: 2012/12
  • メディア: 大型本
 


漢字


 「漢字」は、読んで字のごとく「漢から伝来した文字」を指すといわれる。
 書き文字のなかった奈良・平安時代には「文字の意味」ではなく、「発音」として「漢字」が使われた。いわゆる「万葉仮名」である。
 しかし、この時代の「書く文章」は、今で言う「漢文」であり、「日本語」そのものではなかった。
 「万葉仮名」の「仮名」が「かな・カナ」に略体化され、「漢字と仮名」が混在する文章表記ができあがった。これは誰でも知っている常識だが、この構造に「日本語」のしなやかさがある。

 今「漢字とは何か」と問われたらどう答えればいいのだろうか。
 テレビのクイズ番組として登場するだけではなく、「漢字検定」という資格があり、様々な「漢字」が出てくる。
 そして、旧字体の「漢字」が読めないのは「学力がない」ことのように評価される。

 例えば「戀」という字を書けるか、これは「学力」ではない。
 「戀」は「恋」と略され、旧字は使われなくなった。それが歴史である。
 太平洋戦争後のベストセラー小説に、石坂洋次郎の『青い山脈』がある。映画化され、その主題歌は多くの人々をとらえた。
 その中で、「戀」という字は「糸し糸しと言う心」と書くと教えた先生の話がある。
 だが、今では使われないだけではなく、「いとしい」という言葉さえ理解されない。

 小学校では学年別に習得すべき「漢字」が決められているが、その基本に「当用漢字」がある。「当用」とは政府が決めた「今の時代に使うべき」という意味に過ぎず、字体は簡略化されたものを使う。
 ご本家・中国でも「書き文字の大衆化」のために簡略化が進み、形象文字からの血を引く「漢字」は、跡形もなく変容した。最早「漢字」ではなく「中国字」である。

 現在、「漢字」は、中国・台湾・日本・韓国・シンガポールなどで、文字表記のための手段として用いられてはいる。しかし近年の各国政府の政策で、「漢字」を簡略化したり使用の制限などを行なったり、北朝鮮やベトナムのように、漢字使用を公式にやめた国もある。

 さらに、わが国で作られた「漢字」があり「国字」と言われ、本家の中国にはない文字がある。例えば「榊(さかき)」である。
 現在も神殿や神棚に供えられるもので、「木」偏に「神」を置いた。(さかき)と読むが(しん)と音読はしない。この字の成立と歴史は古い。
 このような例は数多くあり、江戸時代には「異体字・和俗字」とも言われ、新井白石も「国字」として収録した。「当て字」もこの類に入る。

 このように見ると「漢字」は、すでに「日本字」であり、日本語の重要な一部とするのが的を得たものとなる。
 一時騒がれた「漢字文化圏」などという概念は、わが国だけに残された汎用性のない概念となる。

 しかし、「漢字」を使うことにより「日本語」は、表現力と構造的なしなやかさを増すことができた。
 例えば「こと」という言葉を仮名で書かれたら、どの意味に読み取るか。
 事・琴・古都・言・糊塗・殊など全く違う意味がある。
 言葉の前後関係から正しい意味を読み取ることはできるが、「書き言葉」として見ると視覚的にすぐさま意味がわかる。

 アメリカを「米国」イギリスを「英国」と書くのは「和製漢字」で、明治期に作られたものだが、一方で平安期から日常的に使われてきた建築用語の「欄間」や「長押」や「鴨居」は死語になってしまった。辛うじて「敷居」という言葉が残る。
 残ったのは「敷居が高い」という慣用語があったせいで、日常的には、少なくとも「欄間」は消えてしまった。
 これらの用語については、改めて「敷居が高い」のタイトルで紹介したい。

 今日書きたかったのは、「言葉」というより「日本語」の奥深さについてである。
 だが、その意を尽くしていない文章になってしまった。


 
奇妙な国字

奇妙な国字

  • 作者: 西井 辰夫
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
  • 発売日: 2009/01/13
  • メディア: 単行本
 

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